東京地方裁判所 平成6年(ワ)3793号 判決 1996年2月27日
原告
甲
右訴訟代理人弁護士
渡辺博
被告
東京都
右代表者知事
青島幸男
右指定代理人
鈴木一男
外三名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告は、原告に対し、五六三万一四八〇円及びこれに対する平成五年六月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 本件は、原告が、平成五年六月八日、東京都新宿区歌舞伎町の路上及び警察庁新宿警察署歌舞伎町派出所内において、右派出所に勤務する警察官から違法に暴行を受け、それにより傷害を負ったとして、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき損害賠償を請求した事案である。
二 争いのない事実等
1 原告は、一九六九年(昭和四四年)一二月五日に中華人民共和国浙江省で生まれ、平成五年四月六日に来日した中華人民共和国の国籍を有する者である。
被告は、警察庁を設置し、これを管理運営する地方公共団体である。
2(一) 原告は、平成五年六月八日午後六時ころ、アルバイトとして、飲食店「ランジェリークラブ舞」の看板を東京都新宿区歌舞伎町<番地略>「ホテル和光」前路上(別紙図面④地点)の道路標識柱に取り付けていたところ、警察庁新宿警察署(以下「新宿警察署」という。)歌舞伎町派出所(以下「歌舞伎町派出所」という。なお、平成六年四月、「派出所」という名称が「交番」に変更された。)に勤務する巡査部長訴外A(以下「訴外A」という。)から質問を受けた。その際、原告は、旅券(以下「パスポート」という。)及び外国人登録証明書(以下「外国人登録証」という。)を所持していなかった。
原告は、訴外Aと共に歌舞伎町派出所に行き、同派出所一階の奥の部屋において、訴外A及び同派出所に勤務する巡査訴外B(以下「訴外B」という。)から取調べを受けた(以下、以上の取扱を「一度目の取扱」という。)(弁論の全趣旨)。
(二) 原告は、右取調べを受けた後、帰されたが、同日午後九時四五分ころ、アルバイトとして、同町<番地略>「東京海鮮市場」前路上(別紙図面(イ)地点)で前記飲食店のプラカードを持って歩いていたところ、訴外A及び歌舞伎町派出所に勤務する警部補訴外C(以下「訴外C」という。)から呼び止められて質問を受けた。その際も原告は、パスポート及び外国人登録証を所持していなかった。
原告は、歌舞伎町派出所に勤務する巡査訴外D(以下「訴外D」という。)、巡査長訴外E(以下「訴外E」という。)、巡査訴外F(以下「訴外F」という。)及び訴外Bを加えた六人の警察官によって、同派出所に連行され、前記部屋において両腕、両手首及び両足首に保護バンドを装着され、その後、パトカーで新宿警察署に連行された(以下、以上の取扱を「二度目の取扱」という。)。
(三) 原告は、新宿警察署に到着した後、新宿区百人町<番地略>に所在する春山外科病院において診察を受け、その後、新宿警察署に留置され、同月九日、通訳人である警察庁警務部教養課巡査訴外G(以下「訴外G」という。)を介して取調べを受け、その後、警察官らと共に文京区大塚にある原告居住のアパート(以下「大塚のアパート」という。)に行き、パスポートと外国人登録証を任意提出して新宿警察署に戻り、同日午後六時二〇分ころ釈放された(弁論の全趣旨)。
三 争点
1 原告は、歌舞伎町派出所の警察官による二度の取扱に際して、右警察官から違法な暴行を受けたか。
(原告の主張)
(一) 一度目の取扱について
(1) 原告は、前記のとおり、飲食店の看板を道路標識柱に取り付けていたところ、突然、訴外Aから警棒で背中を二回程叩かれて、「パスポート、パスポート」と叫ばれた。原告が、パスポートも外国人登録証も所持しておらず、「すみません。パスポートは家に置いてあります。」と答えたところ、訴外Aは、原告の右手を両手で掴んでねじろうとし、その後、左手で原告の上着の背中上部を掴み、原告をどこかに連行しようとした。原告は、それに従ったが、連行途中、訴外Aから、脇腹を警棒で何回も突つかれ、足を何回も蹴り付けられた。また、原告は、上着のポケットから折り畳み傘が落ちそうになったので右手で押さえようとしたところ、訴外Aから警棒で右手を何回も殴り付けられた。
(2) 原告は、歌舞伎町派出所一階の奥の部屋に連行され、訴外A及び同Bから取調べを受けた。その際、両手を上げて壁に向かって立たされ、訴外Aによって、上着とズボンのポケットから所持品を勝手に取り出され、足を何度も蹴り付けられ、訴外Bから、何か答える度に、頭部を前記折り畳み傘で二〇回以上も殴り付けられた。そのため、原告の頭部は、内出血で腫れ上がった。
原告は、訴外A及び同Bから取り付けた看板を取り外すように指示を受け、それに同意したため、同派出所から解放された。原告は、同派出所を出て、取り付けた看板を回収した。
なお、原告は、取調べの際に、訴外Aあるいは同Bから外国人登録証不携帯は違法であるとの説明を受けたことはなく、また、大塚のアパートに外国人登録証を取りに戻ることを約束したことはない。
(二) 二度目の取扱について
(1) 原告は、前記のとおり、飲食店のプラカードを持って歩いていたところを訴外Aと同Cから呼び止められ、訴外Aから、パスポートの提示を要求されたが、このときも所持していなかったため、「すみません。パスポートは家に置いてあります。」と答えたところ、訴外Aは、原告を押え付けながら何か叫び出した。しかし、原告には、その意味が理解できず、訴外Cの説明も理解できずにいたところ、訴外Aは、警棒を振り上げて殴りかかってきた。訴外Cが訴外Aの右行為を制止しようとしたが、原告が、中国語で「侵犯人権(あなたは、人権を侵害した。)。」と大声で言い、日本語で「私はビザがあります。自由な人です。やめろ。」と叫ぶと、訴外Aは、怒りだし、警棒で原告の肩を殴り付けた。その後、訴外Dが来て、原告の両手を掴み、歌舞伎町派出所方向へ引っ張って行こうとしたので、原告は、それに抵抗するために力を入れたが、その後、無線で連絡を受けた訴外E、同F及び同Bの三名の警察官が応援に駆け付け、合計六名の警察官によって、歌舞伎町派出所に連行された。原告は、前記「東京海鮮市場」前路上の角の電柱にしがみついたりして連行を拒んだが、右六名の警察官から、それぞれ、殴り付けられたり、蹴り付けられたりしながら、歌舞伎町派出所に連行された。
被告は、原告を外国人登録証不携帯で現行犯逮捕したと主張するが、原告は、訴外A及び同Cから外国人登録証についての質問を受けておらず、また、立ち去ろうともしていなかったのであるから、外国人登録証不携帯による現行犯逮捕はされておらず、被告の右主張は、警察官の原告に対する暴行を正当化するために創作されたものである。
(2) 原告は、歌舞伎町派出所内の前記部屋に入れられて押し倒された。右六名の警察官の内一名が、膝で原告の左頬を押え付け、両手を背中に回して動けないようにした。そして、右警察官らは、原告の手足を保護バンドで縛り、抵抗のできない状態の原告に対し、五分余りに亘り、警棒で殴り付けたり、足で蹴り付けたり、手拳で殴打する等した。
(3) その後、右警察官らの内一名が、原告を起こし、足を縛っていた保護バンドを解き、新宿警察署までパトカーで原告を連行した。その際、原告は、一人で歩くことができず、二名の警察官に支えられて、新宿警察署に入った。原告のズボンは引き裂かれ、時計バンドも切れ、上着のファスナーも壊れていた。原告は、病院に連れて行くように要求したため、捜査用車両で外科病院に連れて行かれ、診察を受けたが、その診察は、腕、腿についてのみの簡単なものであった。
(被告の主張)
(一) 一度目の取扱について
(1) 訴外Aは、道路標識柱に看板を設置していた原告を軽犯罪法違反の被疑者と認め、原告の後方から「ここで何をしているんだ。」と声をかけ、立看板を道路標識に設置するのは軽犯罪法違反にあたる旨を話した。しかし、原告が「わたし中国人、よくわからない。」と答えたため、訴外Aは、原告にパスポートあるいは外国人登録証の提示を求めたが、原告が「すいません。大塚のアパートに置いてあります。」と答えたことから、原告がパスポートあるいは外国人登録証を携帯していないことが認められ、軽犯罪法及び外国人登録法違反の疑いで原告を事情聴取する必要があると判断し、原告に歌舞伎町派出所まで来るように求めた。原告は、最初は立ち去ろうとしたが、訴外Aから更に同行を促され、同派出所に行くことに同意し、同派出所まで訴外Aの左横を一緒に歩いて行った。
訴外Aは、原告が主張するような行為、すなわち、原告に対し、突然、背中を警棒で叩いたり、右手を両手でねじろうとしたり、上着の背中上部を掴んで連行しようとしたり、連行途中に脇腹を警棒で突いたり、足を蹴ったり、右手を警棒で殴る等の行為は行っていない。
(2) 訴外Aは、原告を歌舞伎町派出所の一階の奥の相談室に同行し、椅子に座らせた上、所持品を出すように言ったところ、原告は、折り畳み傘、定期券、偽造テレフォンカード等を机の上に出した。その後、訴外Aは、訴外Bと共に身振り手振りを交え、道路標識に立看板を取り付けてはいけないこと、外国人登録証を携帯しなければならないこと、携帯していなければ外国人登録証不携帯として取締りを受けることがあることを説明した。原告は、右説明を理解した様子で、立看板について取り外し、外国人登録証をすぐに大塚のアパートに取りに戻る旨答えた。
訴外Aは、原告が中国国籍で日本の法律にはあまり詳しくないようであること、原告が取り付けた立看板を取り外すと約束していること、外国人登録証についてもアパートにすぐに取りに戻ると言っていること、原告の住居も、原告の申立て内容と定期券の記載内容から原告の申し立てる大塚のアパートに間違いないと認められたこと等から、軽犯罪法及び外国人登録法違反については、いずれも説諭をするにとどめ、原告の取扱を同日午後六時一〇分ころ終えた。
訴外A及び同Bは、右事情聴取の際、原告の主張するような、原告の足を何度も蹴ったり、原告の頭部を折り畳み傘で二〇回以上も殴る等の行為を行っていない。
(二) 二度目の取扱について
(1) 訴外Aと訴外Cは、警ら中に、前記飲食店のプラカードを持って歩道上を歩いて来る原告を発見した。訴外Aは、原告の右行為が道路交通法七七条に違反するおそれがあったこと等から、原告に近付き、「こういうことをしたらだめだ。道路交通法違反になる。すぐやめなさい。」と注意したところ、原告は、「わたし何もしていない。よくわからない。」と言って興奮し出したため、訴外Cが、代わって原告の応対をした。訴外Cは、原告に外国人登録証を携帯しているかを確認したところ、原告が、パスポートは大塚のアパートに置いてあり、持っていない旨答えたため、外国人登録証不携帯の事件として捜査する必要を認め、原告に「交番まで来なさい。」と告げて、歌舞伎町派出所までの同行を求めた。しかし、原告が立ち去ろうとして逃走する気配を示したことから、訴外Cは、同日午後九時五〇分ころ、原告に対し、外国人登録法違反の被疑者として現行犯逮捕する旨告げた。
(2) 訴外Aは、逃げようとしている原告を逮捕するため、原告の後方から同人の右手を掴んだところ、原告が左手で訴外Aの持っていた警棒を掴んで奪い取ろうとしたため、左手で原告の襟首付近を掴み、左肘を原告の首あるいは右肩付近に押し当てながら、警棒を後に引いて原告の手を警棒から引き離そうとした。しかし、原告が、なかなか手を離さず、右手で訴外Aの胸部をあるいは左腕を強く押す等したため、訴外Cは、原告の左腕を掴み、原告の左手を警棒から引き離し、また、近くで違法駐車の取締まりをしていた訴外Dも応援に駆け付け、訴外Aの胸等を押している原告の右腕を掴んで引き離した。そして、訴外Cが原告の左腕を持ち、訴外Dが右腕を持って、原告を逮捕した上、歌舞伎町派出所へ連行しようとした。しかし、原告が両足を踏ん張り、身体を後方へ傾けて抵抗して簡単には同派出所に連行することができなかったため、訴外B、同E及び同Fが応援に来て、訴外Eが原告の左腕を持ち、訴外Cが原告の左腰付近を右手で抱え込み、訴外Bが原告の右腕を持ち、訴外Dが原告の前に回ってベルト付近を掴み、訴外Fが原告の右後方からベルトを掴み、それぞれ原告を持ち上げるようして歌舞伎町派出所に連行した。原告は、前記「東京海鮮市場」前路上に駐車してあったワゴン車のサイドミラーや街路灯の柱を両手で掴む等して抵抗したが、右警察官らは、それを引き離して歌舞伎町派出所に連行した。
原告は、連行途中、「警察何するんだ。」「助けて。」等と叫び、訴外Dの足を蹴ったり、訴外Cの制服上着を引っ張ったり、ボタンを引きちぎったり等した。
訴外Aは、原告を逮捕する際に原告の肩を警棒で殴ったりしておらず、また、原告を連行した警察官も、連行途中に、原告に対して手拳や警棒で殴ったり、足で蹴る等していない。
(3) 原告を歌舞伎町派出所に連行してから、訴外D及び同Bらが原告を前記相談室に入れようとしたが、原告は、後にのけ反ったり、手を振りかざしたりして暴れたため、平衡感覚を失い、相談室内に訴外Bらと一緒に床に横向きあるいは仰向けの状態で倒れた。そして、訴外D、同B及び同Fの三名が、訴外Cの指揮を受けて、手足をばたつかせている原告をうつ俯せの状態にして、原告の両手を背中に回して押え付け、また、臀部又は大腿部を膝で押える等して、保護バンドを同人の両腕、両手首及び両足首に施した。
その後、訴外D及び同Aが、パトカーで原告を新宿警察署に連行した。
訴外D、同B及び同Fや他の警察官は、右相談室内で、原告に対し、警棒で殴り付けたり、足で蹴り付けたり、手拳で殴打する等の行為をしていない。
2 右警察官の暴行により、原告は傷害を負ったか。
(原告の主張)
原告は、歌舞伎町派出所の警察官らによる前記暴行により、精神的恐怖と屈辱を受けただけでなく、約二週間の加療を要する前胸部・左肩擦過創、右上肢・左大腿挫傷等の傷害を負った。
3 損害額
(原告の主張)
(一) 医療費 三万一四八〇円
原告は、右傷害の治療につき、平成五年六月一〇日及び同月一一日に宮島病院において診察及び治療を受けて合計一万二一六〇円を支払い、同月一六日に日比谷病院において診察及び治療を受けて一万九三二〇円を支払った。
(二) 慰謝料 五〇〇万円
原告は、日本の先進的知識・技術を学ぶために来日した私費留学生であり、本件事件当時未だ日本語が流暢に話せない状態であった。そのような原告に対し、前記警察官らは、理由もなく警棒や折り畳み傘で殴打し続け、歌舞伎町派出所内の一室に連行し、六人もの集団で殴る蹴る等の暴行を加えて傷害を負わせたのであり、また、新宿警察署H副署長は、中国人の新聞記者の取材に対し、やり過ぎであったことを認めたにもかかわらず、その後は、各報道機関の取材に対し、制圧行為として当然の行為であり、責任はない等態度を豹変させて反省も示さないことをも考慮すると、右歌舞伎町派出所の警察官らの違法行為によって原告の受けた精神的、肉体的苦痛を慰謝するには、少なくとも五〇〇万円が必要である。
(三) 弁護士費用 六〇万円
原告は、本件訴訟を提起・追行するため、原告訴訟代理人に弁護士費用として六〇万円を支払うことを約した。
第三 争点に対する判断
争点1(原告は、歌舞伎町派出所の警察官による二度の取扱に際して、右警察官から違法な暴行を受けたか。)について検討する。
一 証拠(甲四、同一二、同一三、同一五の一ないし四、乙一の一ないし四、証人A、同B、原告本人及び弁論の全趣旨)によれば、歌舞伎町派出所の警察官による原告の一度目の取扱について、以下の事実が認められる。
1(一) 訴外Aは、平成五年六月八日午後五時四五分ころ、新宿区歌舞伎町<番地略>割烹「車屋」前(別紙図面①地点)を警ら中、立看板(横約三〇センチメートル、縦約一五〇センチメートル)を抱えた二人連れの男が約四〇メートル先(別紙図面②地点)を職安通り方向に歩いていくのを発見した。訴外Aは、同人らが立看板を電柱等に取り付けるおそれがあると判断して追尾したところ、二人連れの男の内一名(原告)が、同町<番地略>「AK会館」前路上(別紙図面③地点)の道路標識柱に黄色地で黒の文字で「ランジェリークラブ舞」等と記載された立看板を取り付けているのを認めた。その後、前記のとおり、原告がAK会館から二〇メートル程離れた「ホテル和光」前路上の道路標識柱に立看板を取り付けようとしたので、訴外Aは、原告の後方から近付き、原告に対し、立看板を道路標識柱に取り付けるようなことをすれば法律違反になる旨話した。しかし、原告が、中国人であり、よく分からない旨話したので、訴外Aは、原告に対し、パスポートあるいは外国人登録証の提示を求めた。しかし、原告が「すみません。パスポートは家に置いてあります。」と答えたため、訴外Aは、原告がパスポートあるいは外国人登録証を携帯していないものと認め、原告を軽犯罪法及び外国人登録法違反の疑いで取り調べる必要があると判断し、原告に歌舞伎町派出所まで来るように求めた。ところが、原告が立ち去ろうとしたので、訴外Aは、左手で原告の右手首付近を取り、「ポリスボックス」という言葉等を用いて更に同派出所まで来るように求めたところ、原告は、それに同意した。そこで、訴外Aは、原告を同派出所まで同行した。
(二) 原告は、歌舞伎町派出所一階の奥の相談室に入れられ、訴外Aから、所持品を出すように言われ、折り畳み傘、定期券等を机の上に出した。訴外A及び同Bは、身振り手振りを交えて、道路標識や電柱に立看板を取り付けることは法律違反になることを説明したところ、原告は、右警察官の動作等から右説明内容を理解し、立看板を取り外すことを約束した。更に、訴外Aと同Bは、原告に外国人登録証のある場所を聞いたところ、原告が大塚のアパートにある旨答えたため、外国人登録証は携帯しなければならないこと、再度、外国人登録証を携帯していなければ取り締まること、大塚のアパートに帰ってこれを携帯する必要があることを、不携帯が違法であることを説明するためにポケットに手を入れてその後手で×の形をしたり、違反した場合に逮捕されることを説明するために両手の握り拳を添えて前に出す等、身振り手振りを交えて説明した。しかし、原告は、訴外A及び同Bの言葉がよく理解できずに、右説明を立看板を取り付けることが違法であるとの説明であると理解して、右説明に対し、「すいません。すいません。」と言ってうなずいた。
訴外Aは、原告が、訴外Aらの説明に対し、「すいません。」と言ってうなずいたのを見て、原告が大塚のアパートに外国人登録証を取りに戻ることを約束したものと理解した。そして、原告が、中国国籍で日本の法律にはあまり詳しくなく、また、取り付けた立看板を取り外すと約束しており、「外国人登録証も大塚のアパートに取りに戻ることを約束したこと、氏名、住居についても、所持していた定期券の記載内容と原告自身の申立て内容が同じであったことから、軽犯罪法及び外国人登録法違反については、いずれも説諭をするにとどめ、同日午後六時一〇分ころ原告を帰した。
以上の事実が認められる。
2 原告は、新宿区歌舞伎町の路上での訴外Aとのやりとりについて、「訴外Aから、突然、背中を警棒で叩かれて『パスポート、パスポート』と叫ばれた。訴外Aは、原告の右手を両手で掴んでねじろうとし、左手で原告の上着の背中上部を掴んだ。訴外Aは、原告の脇腹を警棒で何回も突つき、足を何回も蹴り付け、原告が上着のポケットから折り畳み傘が落ちそうになったので右手で押えようとしたところ、警棒で右手を何回も殴り付けた。」と主張し、また、歌舞伎町派出所内での訴外A及び同Bとのやりとりについて、「両手を上げて壁に向かって立たされ、訴外Aによって、上着とズボンのポケットから所持品を勝手に取り出され、足を何度も蹴り付けられ、訴外Bから、何か答える度に、頭部を前記折り畳み傘で二〇回以上も殴り付けられた。そのため、原告の頭部は内出血で腫れ上がった。訴外Aあるいは同Bから外国人登録証不携帯は違法であるとの説明を受けたことはなく、原告が大塚のアパートに外国人登録証を取りに戻ることを約束したことはない。」と主張し、甲一二、同一三及び原告本人尋問の結果中には、右主張に沿う部分がある。
しかし、証拠(甲一二、同一三及び原告本人)によれば、原告は、来日してから本件事件まで二か月程しか経過しておらず、来日前に半年間程夜間学校に通って日本語を勉強した程度であり、日本語がまだ良く分からず、訴外A及び同Bの前記説明を十分には理解できなかったものと推認されること、また、証拠(甲一二、同一三、同一五の二、証人A及び原告本人)によれば、原告自身パスポートの提示を要求されていることを供述しており、原告は、そのときパスポートあるいは外国人登録証を携帯していなかったこと、前記取調べの際、訴外Aが歌舞伎町派出所にあるメモに「密入国」と記載していることが認められ、右各事情のほか、前掲採用証拠を総合すれば、訴外A及び同Bが、原告を密入国者あるいは不法残留者ではないかとの疑いを持ち、原告に対し、外国人登録証を携帯しなければならないこと、再度、外国人登録証を携帯していなければ取り締まること、大塚のアパートに帰って外国人登録証を携帯する必要があること等を原告に説明したものと認めるのが相当である。そして、原告は、訴外A及び同Bの説明が外国人登録証不携帯についての説明であることを十分には理解できずに、訴外A及び同Bに言われるままに「すいません。」と言ってうなずいたと認められるが、原告の右態度からすると、原告が外国人登録証を大塚のアパートに取りに戻ることを約束したと理解することは不自然ではなく、訴外Aは、原告が外国人登録証を大塚のアパートに取りに戻ることを約束したと理解したものと認めるのが相当である。
また、原告の主張する暴行についても、前記各証拠によれば、訴外Aは、歌舞伎町派出所まで原告を任意同行したことが認められること、本件事件の二日後の平成五年六月一〇日に原告が宮島病院で診察を受けた結果について記載された同月一一日付診断書(甲五)には、前胸部・左肩擦過創、右上腕部・左大腿挫傷、右足関節挫傷で約二週間の加療見込との記載があるが、原告が暴行を受けたと主張する脇腹、右手の甲及び頭部については何ら記載もないこと、右一〇日及び同月一四日に原告の身体を撮影した写真(甲六及び同七)及び同月一二日に撮影したビデオテープ(甲八)にも、右各部位に対する暴行の跡が認められず、他に、証拠上原告主張の暴行を受けた跡が認められないこと、その他後記認定の二度目の取扱に関する事実に照らせば、訴外Aあるいは同Bが、一度目の取扱において、原告に対し、原告の主張するような暴行をしたとする原告本人の供述部分及び前記陳述書(甲一二及び一三)の記載部分はにわかには信用できず、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠もない。
したがって、一度目の取扱の際に、原告が、訴外A及び同Bから違法な暴行を受けたとは認められない。
二 前記各証拠及び証拠(甲五ないし八、同一四、証人C、同D及び弁論の全趣旨)によれば、歌舞伎町派出所の警察官による原告の二度目の取扱について、以下の事実が認められる。
1(一) 訴外C及び同Aは、平成五年六月八日午後九時四五分ころ、新宿区歌舞伎町<番地略>「アシベ会館」前路上(別途図面(ア)地点)を警ら中に、原告が、横約八〇センチメートル、縦約七〇センチメートルで約1.5メートルの柄のついた「ランジェリークラブ舞」と記載された看板を持って、前記のとおり、「東京海鮮市場」前路上を歩いて来るのを発見した。訴外Aは、原告が、前に取り扱った者であり、原告の右行為が道路交通法七七条に違反するおそれ等があったことから、原告のいる地点まで走って行き、「こういうことをしたらだめだ。道路交通法違反になる。すぐやめなさい。」と注意したところ、原告は、「わたし何もしていない。よくわからない。」と答えた。そのうちに、原告が興奮し大きな声で「わからない。」と言い出し、訴外Aの語気も強くなったので、訴外Cが、訴外Aに代わって原告の応対をした。訴外Cは、原告にパスポートあるいは外国人登録証を携帯しているかを確認した。原告は、「大塚のアパートにあります。」と答えたが、訴外Cは、一度目の取扱の際に、原告は外国人登録証を取りに帰るとの約束をした旨の報告を受けており、その後、約三時間経過後も外国人登録証を携帯していなかったことから、外国人登録証不携帯の事件として捜査する必要を認め、原告に「交番に行こう。」と告げて、歌舞伎町派出所までの同行を求めた。しかし、原告が、後ろ向きになり、区役所通り方向に立ち去ろうとしたので、訴外Cは、原告が逃走するものと判断し、原告に対し、外国人登録法違反で逮捕する旨告げた。
(二) 訴外Aは、前記「東京海鮮市場」前路上(別紙図面(エ)地点)において、左手で原告の右手を掴んだところ、原告が左手で訴外Aが右手に持っていた警棒を掴んだため、左手を原告の右手から離し、原告の襟首付近を掴み、原告の左手を警棒から引き離そうとした。原告も訴外Aの胸付近を掴み、両者は、揉み合いの状態となった。そこで、訴外Cが原告の左腕を掴んで警棒から引き離し、また、新宿区歌舞伎町<番地略>先路上で違法駐車の取締りをしていた訴外Dも駆け付け、訴外Aの胸等を押している原告の右腕を掴んで引き離した。そして、訴外Cが原告の左腕を持ち、訴外Dが原告の右腕を持って歌舞伎町派出所へ連行しようとしたが、原告は、両足を踏ん張り、後ろにのけ反って抵抗し、容易に連行できなかったため、訴外Cは、訴外Aに応援を要請するように指示し、応援要請により駆け付けた訴外B、同E及び同Fのほか、同C及び同Dの五名によって、原告を歌舞伎町派出所に連行した。その間も、原告は、「警察何をする。」等と叫んで暴れ、駐車していた車のサイドミラーや街路灯の鉄柱を掴んだり、両足を踏ん張ったり、後ろにのけ反る等して抵抗したため、右五名の警察官は、訴外Eが原告の左腕を持ち、訴外Cが原告の左腰付近を抱え、訴外Bが原告の右腕を持ち、訴外Dが原告の前に回ってベルト付近を掴み、訴外Fが原告の右後方からベルトを掴み、それぞれ原告を持ち上げるようにして、原告を歌舞伎町派出所に連行した。
(三) 訴外Cらは、原告を歌舞伎町派出所入口まで連行し、同派出所の前記相談室に入れようとしたが、原告は、暴れて後ろにのけ反る等したため、倒れ込むような形で相談室に入った。原告は、相談室内で倒れた後も、大声で叫び、足をばたつかせる等暴れていたので、訴外B、同D及び同Fで、原告をうつ俯せの状態にし、訴外Bが原告の両足首を掴み、訴外B及び同Dが原告の足部分を膝で押え、訴外Fが原告の上半身を押えた。その後、右三名の警察官で原告の両腕、両手首及び両足首に保護バンドを施した。
(四) その後、訴外D及び同Aが、原告をパトカーで新宿警察署に連行した。新宿警察署において、原告は、訴外Gの電話による通訳を介し、担当員から外国人登録法違反で現行犯逮捕されていることを告げられた。また、新宿警察署に到着したときには、原告のズボンは破れており、時計バンドも切れ、上着のファスナーも壊れていた。原告は、病院に連れていくように要求し、捜査用車両で前記春山外科病院に連れて行かれ、同病院の医師神里潔の診察治療を受けた。その後、原告は、新宿警察署に留置され、翌日(同月九日)午前九時過ぎから、訴外Gの通訳を介して取調べを受けた。そして、原告が外国人登録証は大塚のアパートに置いてある旨話したため、右アパートにおいてパスポートと外国人登録証の確認が行われ、その後、原告は、外国人登録証の不携帯を認める等したため、同日午後六時二〇分ころ釈放された。以上の事実が認められる。
2 原告は、警察官六名による連行及び取調べについて、「原告は、外国人登録証不携帯による現行犯逮捕はされていなかった。前記『東京海鮮市場』前路上において、訴外Aは、警棒で原告の肩を殴り付けた。連行される際に、警察官から殴り付けられたり、蹴り付けられたりした。警察官は、歌舞伎町派出所一階の奥の部屋で、原告の手足を保護バンドで縛り、抵抗のできない状態の原告に対し、五分余りに亘り、警棒で殴り付けたり、足で蹴り付けたり、手拳で殴打する等した。」と主張し、甲一二、同一三及び原告本人尋問の結果中には、右主張に沿う部分がある。
しかし、まず、現行犯逮捕の点については、原告は、前記認定のとおり、日本語をあまり理解していなかったのであるから、訴外Cあるいは同Aの言葉がよく分からなかったものと推認されること、また、前記認定のとおり、訴外Cは、一度目の取扱の際に外国人登録証を携帯していなかった原告に対して外国人登録証を取りに帰るよう指示し、原告がその指示を理解した旨の報告を受けていたこと、二度目の取扱の際にも、原告は、パスポートあるいは外国人登録証を携帯していなかったこと、訴外Cが任意同行を求めたのに対して、原告は立ち去ろうとしたこと、新宿警察署において、原告は、訴外Gの通訳により外国人登録法違反で現行犯逮捕されていることを告げられたこと、以上の諸点及び前掲採用証拠に徴すると、訴外Cらは、前記「東京海鮮市場」前路上において、原告を外国人登録法違反で現行犯逮捕したものと認めるのが相当である。そして、原告が、訴外Cの「逮捕する。」という言葉がよく理解できず、現行犯逮捕されることを認識していなかったとしても、右事実経過からすれば、右逮捕が違法であるとはいえない。
次に、原告主張の暴行の点については、前記認定の事実関係、殊に、原告が連行されるのに抵抗したことから、訴外Cと同Dだけでは、連行することが困難な状況にあったために他の警察官の応援を要請し、結局、五名の警察官によって原告を歌舞伎町派出所に連行していること、原告は、前記相談室内において、保護バンドを施されていること、新宿警察署に到着したときには、原告のズボンは破れており、時計バンドは切れ、上着のファスナーも壊れていたことからすると、原告は、右警察官らに連行される際に、歌舞伎町路上及び歌舞伎町派出所内において相当程度暴れて抵抗したものと認められ、他方、右警察官らも、右抵抗を制圧するのに、相当程度の有形力の行使をしたものと推認される。そして、証拠(甲五ないし八)によれば、原告は、本件事件の二日後である平成五年六月一〇日の時点で、約二週間の加療を要する前胸部・左肩擦過創、右上腕・左大腿挫傷、右足関節挫傷等の傷害を負っていることが認められ、前記認定のとおり、原告は、連行の際及び前記相談室内で相当程度暴れたこと、その制圧に警察官が相当程度有形力の行使をしたこと及び原告が新宿警察署に到着して外科病院で診察を受けていること等を併せ考察すると、右傷害は、原告の二度目の取扱の際に生じたものと認めるのが相当である。
しかし、前記認定に係る原告の抵抗及び傷害の程度、右抵抗を制圧するために警察官が行使した有形力の内容及び程度等を総合的に考慮すると、原告の連行途中及び前記相談室内において、警察官が行った有形力の行使は、原告の抵抗を制圧するためになされたもので、その際の状況からみて社会通念上逮捕のため必要かつ相当と認められる限度内の正当なものというべきである。
そして、以上の認定事実及び前記各証拠に照らせば、原告本人の供述及び前記陳述書(甲一二及び同一三)の記載中、前記警察官の暴行に関する原告の主張に沿う部分はにわかには信用できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
したがって、二度目の取扱に際しても、歌舞伎町派出所の警察官が、原告に対し、違法な暴行を加えたとは認められない。
第四 結論
以上の次第で、本件は、原告が中華人民共和国から来日して日が浅く、日本語を未だ十分に理解し話すことができなかったため、警察官との間に十分な意思疎通を図れなかったことから生じた事件であるともいえるが、一度目の取扱については、原告は、警察官の任意同行の求めに応じて歌舞伎町派出所に行っており、原告主張のような暴行の事実は認められず、二度目の取扱については、原告は、外国人登録法違反の容疑で現行犯逮捕されており、歌舞伎町派出所の警察官の原告に対する行為は、右逮捕行為に伴う許容限度内の正当な有形力の行使であり、原告の抵抗を制圧するためのやむを得ないものであったと認められるから、違法とはいえない。
したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官飯田敏彦 裁判官田中治 裁判官井上直哉)
別紙図面<省略>